女らしくない!と言われた
むさくるしいオッサンに言われたのであれば、
(ああん?おどれはワシより男らしくねぇじゃねぇか、蹴り飛ばすぞこの野郎)
と、思いながら、「そうなんですよー(笑)」でやり過ごすところだが、
今回の発言の主は、ミャンマーからきているかわいい女の子。
文脈としては、はたはたさんは妹がいる雰囲気じゃない、女きょうだいがいるともっと女っぽい感じになる、ということのようで、
弟二人のお姉ちゃんとしては全くもって頷くばかり。
私も日頃から、血液型より兄弟構成のほうが性格に影響している、という論を唱えているので、
お国が違っても感じることは同じなのねー、と、むしろうれしくなった。
別れ際、はたはたさんは背が高い、太くない、細くない、バランスいい、と言ってもらえたので、とても良い気分になった。
13年住んだ街へ遊びに行って
ロック好きの友達とフェスを見て、映画好きの友達と映画を見て、翌日は前職の先輩とランチした。
フェスの会場には前職の知り合いがたくさんいたので、ごっそり挨拶させてもらった。覚えていてくださること、好意的に受け入れてくださることに、とても感謝した。
一方、リアクションの違いも敏感に感じていて、
職場のお付き合いだった方は、「…!おー!元気…!?」と一瞬間があいたが、
友達づきあいしていたひとは、私が来ることを知っている人も知らない人も、ノータイムで反応してくれた。
私も前職のことは懐かしいと思いつつ忘れているし、忘れたい人のことが頭をよぎったら、名前を思い出せないことに喜びを感じていたりするので、人間関係ってそういうものだよなと思う。
自分は丁寧な人づきあいを維持するのができず、それは短所だと思いつつ諦めているが、自分のことを気にかけてくださることに感謝したい。
あと、知っている土地に遊びに行くのは、ノスタルジーがありつつ土地勘があって便利でよいです。街の表情はすぐ変わってしまうので、寂しい思いもしつつ、新鮮な気持ちもある。
そして、そこに快さを感じるということは、私は流れ者気質なのかなと最近思う。
地面に深く根を下ろすわけではなく、かといってアメンボのように軽やかなわけではなく、浮草のようなものかしら。
しまった、転石から浮草になった。
おもしろいブログを読んで失敗した
知識だけ貯めこんでしまって、アウトプットができていない!
質より量、まずはアウトプットすることを心がけよう!
と思いたち、ブログ・Twitter・紙のノートに手書きなど、とにかく何でもいいから書いてみる、とここ数日心がけている。
しかし、さっきはてなブログを開いたら、面白いブログがたくさんあって、ついつい読んでしまった。そして、自分の文章が面白くないなと思ってしまった。
いかん。これはよろしくない。
アウトプットが自分に不足しているから練習しているのだ。練習で書いた文章が面白いものか。ウケなくたって問題はない。言葉をしゃべり始めたばかりのひよっこが、どっかんどっかん笑わせられるわけはない。他人と比べるべからず。諦めが早いのがお前の長所であり短所だ。数日で諦めるな。幽遊白書の天沼がエニアグラムでいうところのタイプ5だとか、いろいろ考えたじゃないか。危険思想を表明しているわけでなし、何を恐れることがあるだろうか。今日は仕事で初めて本音を話せる人ができたとか、書いてしまえばいいじゃないか。本当に小心者でしょうがないやつだな。いったれいったれ!
違和感を手放さない
ワークショップの1日目の初めのほうで学んだ言葉。
宮田識(さとる)さんという方のことばだそうだ。
この言葉に出会って思ったことは、私は違和感をいかにスムーズに手放すかに注力していたかということ。
違和感を覚えることは、ある。あるけれども、深堀りはしない。なぜなら疲れるから。
違和感を手放してきているので詳しく覚えていないが、きっと私の力で変えられるものではないと感じているからだろう。「世間」とか「常識」とか「普通」といったもの。
変えられないなら考えるだけ無駄、ということだ。
このワークショップでの一番の学びは、たくさんありすぎてまだまとまらないが、
「考えるだけ無駄」じゃないんじゃないか、ということは一つあるかも。
働くっていいこと?自分らしいってなに?自分ってそもそもあるのかな?自分はどういう存在でありたいんだろう?いい仕事って何だろう?人とつながるってどういうこと?健やかな状態ってどういう状態?
などなど、普段なら「そんなこと考えてもしょうがないじゃん」っていうことを考えに考えた3日間。
「考えるだけ無駄」ではなかった、と思う。
きっと今後も答えは出ない問いなんだけれど、問い続ける、という問いもあるのだと知ることができた。