転石苔を生ぜず

考えたことの記録です。

衣類乾燥除湿器はいいですよ!

私はアウトプットが苦手で、

それを克服しようとして、ブログなど書いているわけだが、

ものの本によると、
アウトプットするにしても、ポジティブなことを書くのが良いとされている。

 

話は変わるが、私は洗濯するたびに、
アイリスオーヤマの衣類乾燥除湿器を使っている。

これはとても素晴らしい。
これがなければ、私の洗濯物は永遠に湿ったままであろう。

 

だがしかし、この衣類乾燥除湿器のすばらしさを語るためには、
我が住まいが狭小で、洗濯物を干すところもないと言わねばならない。

 

これは困った。
ポジとネガは一体なのだ。

人生にもOff-JTが必要だと学んだ、平成最後の夏

日経ビジネススクールのセミナーでドラッカーを学んだ。

業界の有識者にご意見をいただいた。(ご意見を反映できなそうで申し訳ない。)

3泊3日のワークショップに参加した。

初めて実用書を買って読んだ。
業界の本、エンパワーメント、エニアグラム、アウトプット、SNS文章術、U理論。
心理学とシェリル・サンドバーグの本は買ったけどまだ読んでいない。

 

現場も大事だが、理論も大事だ。

今までは汗をかいて周りの信用を得ようとしてきたが、次のステップに進むときだ。

理屈を現場に活かせるように、得意なお勉強でお役に立てるようになりたい。

女らしくない!と言われた

むさくるしいオッサンに言われたのであれば、
(ああん?おどれはワシより男らしくねぇじゃねぇか、蹴り飛ばすぞこの野郎)
と、思いながら、「そうなんですよー(笑)」でやり過ごすところだが、

今回の発言の主は、ミャンマーからきているかわいい女の子。

文脈としては、はたはたさんは妹がいる雰囲気じゃない、女きょうだいがいるともっと女っぽい感じになる、ということのようで、
弟二人のお姉ちゃんとしては全くもって頷くばかり。


私も日頃から、血液型より兄弟構成のほうが性格に影響している、という論を唱えているので、
お国が違っても感じることは同じなのねー、と、むしろうれしくなった。

別れ際、はたはたさんは背が高い、太くない、細くない、バランスいい、と言ってもらえたので、とても良い気分になった。

人が嫌いだ

どう頑張っても、いいことを言おうとしても、結論はここに行き着く。

人付き合いは避けられないし、人に認められるとうれしいという感情はあるのだが、できるだけ人と関わりたくない。

 

早く野垂れ死にたいなー。

どうしたら和やかに野垂れ死ねるかなー。

この部屋で死んだら見に来るのはあの人かなー。そんなに親しい人でもないから、第一発見者にするのは忍びないなー。

私が死んでも生きるのに困る人はいないけど、たぶん親は悲しむかなー。それは申し訳ないかなー。

あー、死ぬのもめんどくさいからとりあえず生きとくかなー。

と、たぶんここ10年くらいこういうテンション。

死ぬのも生きるのもめんどくさい。

13年住んだ街へ遊びに行って

ロック好きの友達とフェスを見て、映画好きの友達と映画を見て、翌日は前職の先輩とランチした。

フェスの会場には前職の知り合いがたくさんいたので、ごっそり挨拶させてもらった。覚えていてくださること、好意的に受け入れてくださることに、とても感謝した。

一方、リアクションの違いも敏感に感じていて、
職場のお付き合いだった方は、「…!おー!元気…!?」と一瞬間があいたが、
友達づきあいしていたひとは、私が来ることを知っている人も知らない人も、ノータイムで反応してくれた。

私も前職のことは懐かしいと思いつつ忘れているし、忘れたい人のことが頭をよぎったら、名前を思い出せないことに喜びを感じていたりするので、人間関係ってそういうものだよなと思う。

自分は丁寧な人づきあいを維持するのができず、それは短所だと思いつつ諦めているが、自分のことを気にかけてくださることに感謝したい。

あと、知っている土地に遊びに行くのは、ノスタルジーがありつつ土地勘があって便利でよいです。街の表情はすぐ変わってしまうので、寂しい思いもしつつ、新鮮な気持ちもある。

 

そして、そこに快さを感じるということは、私は流れ者気質なのかなと最近思う。
地面に深く根を下ろすわけではなく、かといってアメンボのように軽やかなわけではなく、浮草のようなものかしら。
しまった、転石から浮草になった。

 

おもしろいブログを読んで失敗した

知識だけ貯めこんでしまって、アウトプットができていない!
質より量、まずはアウトプットすることを心がけよう!

と思いたち、ブログ・Twitter・紙のノートに手書きなど、とにかく何でもいいから書いてみる、とここ数日心がけている。

しかし、さっきはてなブログを開いたら、面白いブログがたくさんあって、ついつい読んでしまった。そして、自分の文章が面白くないなと思ってしまった。

いかん。これはよろしくない。

アウトプットが自分に不足しているから練習しているのだ。練習で書いた文章が面白いものか。ウケなくたって問題はない。言葉をしゃべり始めたばかりのひよっこが、どっかんどっかん笑わせられるわけはない。他人と比べるべからず。諦めが早いのがお前の長所であり短所だ。数日で諦めるな。幽遊白書の天沼がエニアグラムでいうところのタイプ5だとか、いろいろ考えたじゃないか。危険思想を表明しているわけでなし、何を恐れることがあるだろうか。今日は仕事で初めて本音を話せる人ができたとか、書いてしまえばいいじゃないか。本当に小心者でしょうがないやつだな。いったれいったれ!

違和感を手放さない

ワークショップの1日目の初めのほうで学んだ言葉。
宮田識(さとる)さんという方のことばだそうだ。

この言葉に出会って思ったことは、私は違和感をいかにスムーズに手放すかに注力していたかということ。

違和感を覚えることは、ある。あるけれども、深堀りはしない。なぜなら疲れるから。

違和感を手放してきているので詳しく覚えていないが、きっと私の力で変えられるものではないと感じているからだろう。「世間」とか「常識」とか「普通」といったもの。
変えられないなら考えるだけ無駄、ということだ。

このワークショップでの一番の学びは、たくさんありすぎてまだまとまらないが、
「考えるだけ無駄」じゃないんじゃないか、ということは一つあるかも。

働くっていいこと?自分らしいってなに?自分ってそもそもあるのかな?自分はどういう存在でありたいんだろう?いい仕事って何だろう?人とつながるってどういうこと?健やかな状態ってどういう状態?

などなど、普段なら「そんなこと考えてもしょうがないじゃん」っていうことを考えに考えた3日間。

「考えるだけ無駄」ではなかった、と思う。
きっと今後も答えは出ない問いなんだけれど、問い続ける、という問いもあるのだと知ることができた。